2019.04.02

『玲和』の手話

令和の手話
190402玲和2019年4月30日で平成が終わり、5月1日より元号が新しくなります。
その新しい元号が『玲和』になるということが、4月1日に政府より発表されました。

全日本ろうあ連盟ではそれを受けて、4月1日の夕方から京都にある全国手話研修センターに委員が集まり、どのように手話表現するかということについて論議、検討の結果、図のように確定しました。

これは、花のつぼみがゆるやかに開き、やがて花びらが環(わ)となった指先からふくよかな薫りをはなち、和みゆくさまを表しているそうです
平成の手話
まだ、しっくりこないのですが、(作られたばかりなので当然ですね。)時間がたてば、良い手話に決めてもらえた…となるのではないでしょうか。

平成は、穏やかで平和なイメージを表わしていて、漢字から見ても多くの人が思いつきそうな手話ですが、玲和はどのようにして思いついたのか知りたいという人が多いのではないでしょうか。

ちなみに昭和は高い襟(カラー)を、大正は大正天皇の口髭を、明治は明治天皇の顎髭を表わしています。
年号の手話
2019.03.29

気象庁緊急会見に手話通訳

地震の手話
気象庁は2019年3月25日、気象庁が行う緊急会見に手話通訳を付けると発表しました。

緊急会見は、震度5弱以上の地震や津波、火山の噴火、台風、大雨などが発生または予想された時に行われます。
津波の手話
当面は9時~18時の日中の会見時のみになりますが、6月くらいからは24時間体制で行えるよう、動いているようです。

現在、首相や官房長官の会見に手話通訳が付いているのですが、登壇時にチラッとテレビに映るだけです。
台風の手話
後でYouTubeなどで見ることは出来ますが、生で手話通訳者が映っているのを見たことがありません。
台風通訳は、付かないよりは付いたほうが良いのですが、「ちゃんと付けてます」という言い訳か、パフォーマンスにしか思えない状況です。(もちろん、手話通訳者が悪いわけではありません。)

気象庁の緊急会見では、生で通訳者が映らないと意味がありませんので、必ずそうなるように期待しています。
2019.02.26

ろう者のバス運転士

運転の手話
松山建也さんは、現在日本でただ一人の“ろう”のバス運転士です。

2016年4月に運転免許制度が改正され、聴覚障害者でも補聴器を装用して、一定基準(10m離れて90dBのクラクション)の音を聞くことが出来れば、二種免許を取得することが出来るようになりました。
バスの手話
二種免許が取れれば、バスやタクシーの運転手として仕事に就くことが出来ます。

観光バスの運転士になるのが夢だった松山さんは、それまで大型免許を持ってトラック運転手として仕事をされていました。
タクシーの手話
運転免許制度改正によって大型二種免許を取得出来るようにはなりましたが、実際にバスの運転士になるのは簡単なことではなかったようです。
なにしろ、日本にはそれまで“ろう”の運転士は一人もいなかったのですから。
二種免許を取得したろう者はこれまで40人以上いるようですが、実際にその仕事に就いているのはまだ松山さんだけでしょうか。

その松山さんの講演会を、小金井手話サークル主催で2月23日の15~17時で行います。
参加費は無料です。多くの方の参加をお待ちしています。
詳しくは下記のチラシをご覧ください。
2019.02.09

小金井手話広場2月

菊永さん
阿波踊り今月の小金井手話広場は、15日に開催します。
お招きする講師は菊永ふみ氏です。

菊永さんは東日本では唯一の、聴覚障害児入所施設の金町学園で、児童指導員をされています。
生徒の図
そのお仕事をされる傍ら、一般社団法人異言語Lab.の代表も務められており、そちらでは、ろう者・難聴者・聴者が一緒になって金町学園の仲間たち互いに助け合いながら謎を解いていく、『異言語脱出ゲーム』を考案し、それを開催しています。

昨年の秋には吉本興業とのコラボで、『異言語脱出ゲーム』は関西にも進出しました。

また2010年に公開された映画『アイコンタクト』では中村和彦監督の下で助監督も務められました。
なでしこジャパン
アイコンタクトはご存知の方も多いでしょうが、ろう者女子サッカー日本代表チームが2009年の台北デフリンピックを目指した時のドキュメンタリー映画で、当時は“もう一つのなでしこジャパン”として話題になりました。
そんな様々な活動をされている菊永さんの講演会です。
是非多くの方の参加をお待ちしています。

日 時:2019年2月15日(金) 19:00 ~ 21:00

場 所:小金井宮地楽器ホール1F マルチパーパススペース

地図をクリックすると、大きく見やすくなります。
2019.02.03

筆談ホステス

筆談
ご存知の方も多いと思いますが、ちょうど10年前に出版された本で、その翌年にはテレビドラマ化された「筆談ホステス」というノンフィクションがあります。

著者は斎藤りえ(里恵)さんで、ご自身の生き様を書かれたものです。
ドラマでは北川景子さんが斎藤さんの役をやっていました。
斎藤さんは銀座のクラブなどでお仕事をされた後、2015年から東京都北区の区議会議員をされています。
先日、その斎藤さんの講演会に参加してきました。

ドラマで話題になっていたころは手話はされていなかったようですが、最近は手話も習得されてきています。
ただ、言いたいことを手話で流暢に表現することはまだ難しいようで、講演は斎藤さんが声を出して話すという方法でした。
講演の手話
ですが、1歳で聴力を失った斎藤さんの声はしっかり聞き取れるほど明瞭ではありません。
あらかじめ原稿をパワーポイントで作成し、スクリーンに映しながら講演が進められました。

参加者は、講師の表情や動きを見ながら、スクリーンの文字を目で追って内容を理解しました。

議会の中では他の議員の発言は音声認識文字通訳で、タブレットに表れる文字を見て理解し、自分の発言は、音声読み上げソフトを使用して、パソコンに打ち込んだ文字を読み上げる機能を利用して、他の方々に伝えているようです。
選挙の時には音声でも手話でも自分の考えを人に伝えるということが出来ませんでしたので、駅前などで演説することが出来ず、文字で訴えようとしても、選挙活動でビラを配ることは禁止されており、途方に暮れることもあったようです。
選挙の手話
しかし、区民一人ひとりと筆談で語り合いながら、自分の意見を理解してもらうことで、当選を勝ち取ることが出来たそうです。

障害を持つ当事者が議会に加わることで、区民にとってやさしい議会になっているのでは?と思っています。

もう数ヶ月で次の選挙が待っているはずです。
次も立候補されるのかどうかは聞いていませんが、今後もご活躍されることを期待しています。
2019.01.22

遥かなる甲子園

甲子園の手話
『遥かなる甲子園』ご存知でしょうか?
本が出版され、漫画にもなり、テレビドラマ、映画でも上映されました。

沖縄のろう学校野球部が甲子園を目指すという実話を元にした物語です。
先日小金井手話サークルで開いた講演会で、講師としてお招きした女性は、『遥かなる甲子園』のモデルとなった北城ろう学校で野球部のマネージャーをやっていた方でした。
ご主人は同級生で、野球部の選手だったそうです。

1964年、アメリカで大流行した風疹が、アメリカ統治下の沖縄でも流行し、当時妊娠していた女性も感染して、1965年に多くの難聴児が誕生しました。
北城の手話
彼らのほとんどは小学生時代には普通小学校の難聴学級に通っていましたが、その教育方法ではいろいろ難しい面が出て、また当時の沖縄ろう学校では難聴児全員を受け入れることは難しく、1978年に開設されたのが北城ろう学校。

本校と2つの分校で合わせて200人近い生徒数。先輩も後輩もいない、一学年だけ。1981年、彼らが高等部になった時に、3人の生徒が野球部を作ろうと言い出したそうです。
野球経験者は1人だけ。
それから部員を集め16人になり、マネージャーも決まりましたが、彼らの壁となったのが高野連のルールでした。

普通学校ではないろう学校の硬式野球部は、公式戦はおろか、練習試合さえすることができません。そこから様々な運動や多くの協力者も出て、マスコミも報道し、テスト試合を数試合経て、当時は特例として大会出場が認められたようです。
(現在は、ろう学校も高野連に加盟することができます。)
沖縄の手話
沖縄2年生の時から出来るようになった試合は、練習試合で1勝しただけで、公式戦では勝てず、ほとんどコールド負けのような試合が続いたようですが、皆で野球に取り組めたことはすばらしいと思います。
北城ろう学校は、彼らが中学1年で入学し、高校卒業までの6年間だけ存在した学校で、1984年に廃校となりました。

その後、老朽化していた沖縄ろう学校が移転してきて、校舎やグランドは沖縄ろう学校として使用されていますが、敷地内に北城ろう学校に通った生徒たちの名前が刻まれた記念碑が建てられているそうです。
2018.12.07

遠隔手話サポート

手話サポート
最近、遠隔手話サポートを導入している店舗や会社が増えてきています。

携帯電話ショップ、観光案内所、銀行、カード会社、ホテル、駅、空港などのカウンターや総合受付、総合案内所などに、聞こえないお客様がいらっしゃった時、お客様と手話が分からないスタッフの間に入って、テレビ電話で手話通訳を行うサポートです。

役所でもタブレット端末を置いて対応しているところが増えているようです。
遠隔サポート
自前で専門の手話通訳スタッフをそろえていてその通訳者が対応する会社もあれば、遠隔サポート専門の会社と契約し、そのシステムを導入している会社もあります。
筆談では上手く伝わらなかったり、時間がかかったりしますので、お客様にとっても、カウンター等で対応するスタッフにとっても、メリットは大きいと思います。

ただ、そこで通訳を行っている通訳者にとっては、画面上で聞こえない方の顔とか手話しか見えないわけですから、周りの情報が得られず、現場で対面での通訳と比較すれば、通訳がスムーズにいかないことも出てくるのかもしれません。
そこを理解しておくことは必要だと思います。
遠隔手話通訳ポスター
2018.12.01

電話リレーサービス

電話の手話
皆さんは電話リレーサービスをご存知でしょうか?

耳の不自由な方が電話をかける場合に、手話や文字を中継所で音声にして電話相手に伝えてくれるものです。

もちろん電話相手の声は手話や文字に換えて伝えてもらえます。

日本では2011年に始まったサービスで、徐々に広まってきてはいますが、まだ、いつでも誰でもが使えるサービスではありません。
注文の手話
主要先進国では、日本が一番遅れているといえるでしょう。

多くの国では公的なインフラの一部として整備されているので24時間対応です。
日本では、夜間の対応はできていません。また現在は、使用できるのは、事前に登録をしている方に限られます。

予算の問題が大きいのでしょうが、それが確保できたとしても、手話通訳者の数が足りないという問題もあります。
予約の手話
それでも、少しずつ便利になっているのは事実で、このサ-ビスで様々な問い合わせを行ったり、電話でできる手続きであれば、このサービスを使って行うことができますし、何かを注文したり、レストランの予約なども可能です。
ただ、時々電話先の相手から(保険会社やカード会社など)「今電話されているのは○○様ご本人ですか?」と聞かれることがあります。
このような時にリレーの担当者は、「私は手話通訳者です。」と答えますので、そうすると、「ご本人でなければお話しすることはできません」と必要な手続きをやってもらえない場合もあります。

公的なインフラとして整備され、このシステムが広く認知されるようになり、このサービスが信頼されるようになれば、こんな問題もなくなってくるのではないでしょうか。

また、本来はそのような使い方は想定されていなかったのでしょうが、山や海で遭難された方がこのシステムを利用して救助を依頼し、命が助かったということも起こっています。

そんな使い方は、しなくて良いのであればそれが一番良いのですが、『いつでも誰でも…』が早く実現することを願っています。
2018.11.28

デフリンピック②

金曜日の手話
先日、2017年のデフリンピックで金メダル2個を獲得した山田真樹選手の講演会に参加しました。

山田さんは男子陸上短距離の選手です。
山田選手は200mと400mリレーで金メダルと、400mでも銀メダルを獲得しました。
日本が獲得した金メダルは全部で6個で、山田選手の他は水泳で3個、バレーボールで1個です。

彼は大学生なので今は良いということですが社会人の選手の練習環境などは厳しいようです。
メダルの手話
メダル日本でのデフリンピックの注目度は、今はそれほどでもなくてスポンサーも少なく、参加する選手や役員は、費用面で大変苦労をしているようです。

種目によって多少の差はあるようですが、数十万円から百万円くらの自己負担は必要になるということ。

オリンピックやパラリンピックでは、自己負担金など聞いたことがありません。(私が知らないだけであれば、すみません)
ちょっと、上手く言えないというか、上手く書けないかもしれませんが…。

オリンピックについては世界最高レベルの競技を見せてもらうことができます。
選手の手話
パラリンピックの場合は、自然と選手を応援したくなってしまいます。
それでオリンピックやパラリンピックの選手には、スポンサーが付いたり国からの補助金も。

ところがデフリンピックは、見ただけでは障害者に見えない人がやっていて、でもオリンピックのレベルと比較すると…。そういうところが、なかなかスポンサーが増えていかない原因でしょうか。
応援の手話
今、ろう者の間では、2025年のデフリンピックを日本に招致しようとする運動があります。

デフリンピックを広く知ってもらうためには、良いきっかけになるのではないでしょうか。
ただ、同じ年に大阪万博開催が決まったので、そっちに注目が集まってしまうかもしれません。
もしかしたら、招致活動そのものが…。
オリンピック
ろう者自身が運営を行いながら発展してきたデフリンピックは、健常者が介在してくるパラリンピックには馴染めなかったようです。

オリンピックまた、パラリンピック委員会では、手話通訳を介してコミュニケーションを行わなければならないろう者の意見を、あまり聞こうとしなかったとも言われています。
2018.11.24

デフリンピック①

デフリンピック
デフリンピックという大会があることを皆さんはご存知でしょうか。
聴覚障害者のオリンピックです。

障害者のオリンピックといえば、パラリンピックが有名ですが、それには聴覚障害者は参加していません。

パラリンピックは1960年に第1回大会がローマで開催されました。
その後、国際パラリンピック委員会が正式に発足したのは1989年になります。
パラリンピック
パラリンピック一方、国際ろう者スポーツ委員会が運営しているデフリンピックは、1924年から開かれていて、100年近い歴史を持っています。

パラリンピック委員会が発足した時には、一旦はろう者も参加していましたが、6年後には脱退しています。
オリンピック
ろう者自身が運営を行いながら発展してきたデフリンピックは、健常者が介在してくるパラリンピックには馴染めなかったようです。

オリンピックまた、パラリンピック委員会では、手話通訳を介してコミュニケーションを行わなければならないろう者の意見を、あまり聞こうとしなかったとも言われています。